疏通千里

疏通とは、川や湖から水路を引いて、不毛であった土地を拓くこと。
蝦夷(北海道)を除く日本では、古代から稲作社会として発展したため、人がその土地で住むには水田が必要でした。したがって、人の住んでいるところには必ず水路がありました。いわば、近代までの日本の歴史はすべて水路の上に築かれてきたのです。

都市も水路が拓いた

福井平野を潤す大水路網。かつては九頭竜川に十数か所の堰が造られていたが、現在は国営農業水利事業によってひとつの取水口に統合された。

日本の大都市の多くは城下町として発展しました。水の引きやすい平野には多くの人が集まり、たくさんの水田を造ります。水路が何本も引かれ、統合したり枝分かれしたりしながら、網の目のように平野に隈なく張りめぐらされます。やがて米の流通が商人や町人を生み、市や街として成長していきます。多くの都市は、城下町周辺に広がる水田の上に発展してきたのです。
金沢の街を縦横に流れている美しい水路網もほとんどが水田のために開削した水路です。城下の水路は飲み水や生活用水、防火や藍染などの産業用水として大切に扱われました。
人は電気や電話がなくても暮らせますが、水がなければ一晩たりとも過ごせません。
現在の大都市も例外なく大河川より引いた網の目のような水路網の上に造られてきたのです。

水路一本が育てた大都市

その逆に、水が引けない台地などはいくら広くても無人の荒野でした。
福島県郡山市は現在約34万人を擁する東北屈指の大都市です。しかし、江戸時代までは人口7千人程度に過ぎない一宿場町でした。郡山周辺の安積台地は約1万ヘクタールの広大さを誇りながら水の便に恵まれず、太古の姿そのままに明治の世を迎えています。
士族授産の開墾地として全国から武士が集まりますが、水がなくては開拓もままなりません。
そのあまりに悲惨な暮しは宮本百合子の小説『貧しき人々の群れ』に詳しく描かれています。舞台となったのは、現在福島放送や法務局などのビル群が立ち並ぶ華やかな都心部。当時、この地は極貧の農民がたむろする開拓村の中心でした。
その百合子の祖父・中条政恒らが活躍して実現させたのが日本三大疏水のひとつ安積用水。山の向こうにある猪苗代湖からトンネルを掘って水を引くという前代未聞の大事業。外国人ファン・ドールンや欧州で学んだ当時最高の技術者達が結集、述べ85万人の労力を投入した難工事でした。しかし、わずか三年で完成。その陰には10kmも離れた村から鍬一本を担いでやってくる多くの農民ボランティアの姿がありました。水を得た安積原野は見る間に有数の沃野へと変貌、この水路を利用した発電所により製糸工場などが立ち並び、東北をリードする巨大産業都市にまで発展したのです。

「安積疏水全図」 写真提供:安積疏水土地改良区

地球を10周する水路網

当事の安積原野。中央を流れるのは川ではない。人々が鍬だけで掘りぬいた手造りの水路。この水路が何十万人という大都市の礎となった。

安積疏水にとどまらず、日本には明治以降こうした水路によって造られた地域がたくさんあります。那須野ヶ原、安城市、十和田市……。また、古来盛んにおこなわれてきた干拓も、当然のことながら新しい水路の開削が伴っていました。日本のありとあらゆる平野、盆地、山間の集落、人の暮らしのある土地は、大なり小なり安積疏水のようにして拓かれてきたのです。山を除く日本の可住地面積(人が住める土地)は約12万1000k㎡。国土の約三割です。
この可住地に引かれている水路を合計すると、いったいどれほどの長さになるでしょうか?

答は約40万km。この日本の狭い平野には、実に地球10周分の水路が細かい網の目のように張りめぐらされ、人の住める「生きた土地」たりえているのです。
疏通千里ならぬ十万里――二千年の昔から人々の手によって営々と造られてきた各地の水路網は、日本人一億人の人口を支える最大の資産と言っても過言ではないでしょう。