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第一章 第二章 「農」の発生
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第三章 第四章
農をめぐる混乱  日本に稲作が定着し、たくさんのクニができ始めるのはちょうど西暦元年頃。戦国時代が終り、江戸幕府が成立するのが1604年。やや乱暴な言い方をすれば、クニらしきものが現われてから現在までの約2000年の歴史のうち、日本は約1600年間も戦(いくさ)を続けてきたことになるのです。これらの争いのもとは、突き詰めれば、ほとんどが農地をめぐる争いであったとも言えるのです。

 飛鳥時代、「大化の改新」(645年)というクーデターによって、公地公民、すなわち日本のすべての土地と人民は朝廷のものであるという中央集権制度が生まれます。この制度によって地方の豪族は力を失い、ようやく日本という統一国家が誕生したことになります。全国で戸籍がつくられ、人々には一定の農地(口分田)が与えられました。そのため、日本の農地は条里制という約百m四方の整然とした区画で仕切られました。

  しかし、この公地公民制は、人口が増えて農地が足りなくなるなど、百年も経たないうちに崩れていきます。やむなく朝廷は、新しい開墾地に限っては私有を認め始めます(743年の「墾田永年私財法」など)。これにより、中央貴族や東大寺、興福寺といった大きな寺社が<荘園>と呼ばれる私有田を広げていきます。この<荘園>こそが、その後、太閤検地によって姿を消すまで、国土の富を増大させながらも、またそれを奪い合うという長い歴史的混乱を生み出した元だったのです。

  都が京都へ移されると(794年)、興福寺系荘園を母体とする貴族の藤原氏が勢力を伸ばし、やがて天皇に代わって政権を握る摂政・関白時代を迎えます。50年ほどすると、もともとは荘園の警護や開墾地の領主であった武士たちが団結して力をつけてきます。口分田、貴族や寺社系の荘園、地方領主の開墾地・・・、朝廷の力が弱まると、これらの農地をめぐる支配権が入り組み、各地で争いが絶えませんでした。そして、時代は中世を迎えます。鎌倉時代(もしくは平安末期)から戦国時代までの約400年間は、一言でいえば、戦乱の世紀。・・・源平の合戦、鎌倉幕府、北条政権、南北朝、足利将軍、応仁の乱、そして群雄割拠する戦国時代。

 これまでの混乱に加えて、新しい武家政権が幕府を開きます。領家、御家人、国司、守護、荘官、地頭、名主、名主等々と農地をめぐる支配は、朝廷系と武士系が入り乱れ、さらに、悪党と呼ばれた非御家人勢力、惣村といった農民の自立集団、比叡山などの僧兵、一向一揆などが加わって、日本中が騒乱の渦に巻き込まれていったのです。
※イメージ写真 重文「不動明王立像」:東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/

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