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第一章 第二章 第三章 第四章 「農」と国土の変貌
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近代産業の夜明け  この視察団の記録は、現在も『特命全権大使欧米回覧実記』(岩波文庫)などで読むことができます。アメリカへ渡った後、ヨーロッパ11カ国をめぐる視察の記録であり、風土気候に始まり、都市の風景や国土の自然、政治制度、産業経済、風俗、宗教、財政、軍事などあらゆる分野にわたって克明に記されています。

 彼らは、産業革命がもたらした工業文明に圧倒されますが、農業にも驚かされています。アメリカの農産物貿易や製糸業、ドイツの農学校の多さ。フランスが10年間で420万ha(幕末の全農地面積の1.4倍)も農地を増やしていること。イギリスも排水技術を使って1年間に100万haの開拓を行なっていました。

 何もかもがケタ違いのスケール。幕末の外国人も日本に驚きましたが、外国を見た日本人の驚きはそれ以上。おそらく身が震えるようなショックにみまわれたことでしょう。真っ先に断行したのが地租改正(ちそかいせい)、農地をめぐる古い制度の廃止でした。土地の私有を認め、年貢の代わりに地代を納めるというもの。ようやく農地は農民のものとなることが認められたわけです。

  さらにその後も、明治政府は北海道の開拓や安積疏水など、約40年間で67万haと江戸期をはるかに上回る速度で開拓を行いました。中央集権となったことで、これまで藩ではできなかった大規模な工事も可能になったわけです。また、西欧の土地整理を模範とする農地整備や馬を使った農法など、積極的に農村の近代化を推し進めました。

 そして、国を挙げて取り組んだのが、石炭という新しいエネルギーを使った産業の振興でした。日本には九州の筑豊や三池、北海道の夕張など炭鉱が豊富にありました。明治23年には、すでに日本で最初の火力発電所を東京に造っています。とりわけ力を注いだのが、製糸(絹)や紡績(綿)などの繊維産業でした。綿も絹も、畑から採れる農産物です。天然資源に乏しい日本にとって、製糸業は輸出の最有力品目として政府に奨励され、1930年代には、日本の貿易利益の40%超を占める最大の輸出品にまで成長しました。紡績業も日本の最初の本格的な産業資本として発展し、昭和8年(1933)には英国を抜いて世界最大の綿布輸出国となっています。これらの産業により獲得した利益は機械類の輸入などに使われ、後の重工業育成の礎となったわけです。

 さてここで、日本にも<石炭>という新しいエネルギーが登場してきたことになります。
※イメージ写真「富岡製糸工場」:放送大学付属図書館所蔵


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