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第一章 第二章 第三章 第四章 「農」と国土の変貌
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大規模農業水利事業  いくら夢のようなエネルギーといっても、石炭や石油は、残念ながら人間や動物の食料にはなりません。石油を飲んでも身体の力はでないし、電気を流してもお腹はふくれない。

 食料は、弥生時代と同じように、植物が蓄えたデンプンやたんぱく質、つまり、太陽エネルギーに頼るしかないのです。したがって、いくら石油によって産業が発達しても、地球全体の農地が増えなければ、ここまで人口が増えることはなかったでしょう。日本も同じです。人口の急激な増加のため、食料生産の拡大は国にとっても大きな課題でした。

  しかし、幸いなことに、化石資源や産業革命は「農」においても絶大な役割を果たしました。クレーンやブルドーザーなどの近代的機械によって、これまでは不可能だった工事もできるようになり、コンクリートの登場は、あらゆる構造物の建設を可能にしました。トラクターや稲刈り機などによって農作業の効率は格段に向上し、プラスティックや塩化ビニール(ともに石油製品)は、ビニールハウスや水路のパイプなどで大活躍しています。そして、ポンプの発明は、水利用において革命をもたらしました。琵琶湖の水を吸い上げて農地に引いたり、丘の上にも水田を造ったりできるようになったのです。

  山の中腹にダムを造り、水をためておきます。そして、川の水量を調節します。昔の粗末だった堰(せき)は取り壊され、代わりに鉄製のゲートを備えたコンクリートの頭首工(とうしゅこう)が造られました。水争いの元になったいくつかの水路は一本に統合され、分水工(ぶんすいこう)という水を分ける装置によって、正確に水が配分されるようになりました。大型機械や近代的技術によって大規模な水利事業が可能になったのです。

  干拓もまた精力的に行なわれました。秋田県の八郎潟は2番目の大きさの湖でしたが、すべて農地となり、新しい村が誕生しました。琵琶湖周辺の内湖も干拓され、また、大型排水機によって、京都市伏見区にあった広大な沼地・巨椋池も見事な農地に生まれ変わりました。干拓によって、日本は戦後になってからも約53万haの農地を広げています。

 こうした大規模な農業水利事業によって、昭和36年には日本の農地は江戸時代に比べて、2倍以上の約610万haになったのです。そして、水利や農地の整備により、農業生産高は飛躍的に上がりました。江戸時代の米の生産量は2000〜2500万石。幕末には約3000万石(約450万t)まで上がったとする資料もあります。これが昭和30年になると、約8200万石(1230万t)にもなりました。

 しかし、こうした太陽エネルギーの拡大以上に、新しいエネルギーによる経済活動はすさまじい勢いで進展していったのです。
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