2-豊かな日本の生態系

2.湿地帯としての水田~琵琶湖40湖分の湿地帯~

a) 湿地の定義

 湿地についてはテッド・ホリス博士(ラムサール条約に関わってきたイギリスの生態学者)の面白い定義があります。「ぴかぴかの靴が泥で汚れてしまうために立ち止まるところ、そこから先こそが湿地である」(小林聡史「ラムサール条約とは」より)。政治家や弁護士など偉い人を湿地に案内して、彼らがピタッと足を止めた先からが湿地帯であるというわけです。

 湿地帯とは陸地(土)と水面(水)、そして空という地上を構成している3つの空間が交わるところ。土という空間で形成される生態系(植物、動物、微生物)と海、湖、川などの生態系(魚介類、水棲動物、水生植物、微生物)が交わるところなので、エサも多く空を飛ぶ鳥たちもたくさん集まってきます。さらにそれらの動物が大量のフンをするので、ますます栄養も豊かになっていく。非常に生態系の豊かな場所と言えます。

 政治家や弁護士を日本の農村に連れて行けば、彼らはおそらく水田のアゼの上でピタッと止まるでしょう。ホリス博士の「定義」に従えば、水田も立派な湿地帯ということになります。

 もちろん水田は人工物ですが、ラムサール条約では、湿地帯は自然か人工物であるかを問いません。現実に宮城県の化女沼ダムも同条約の登録湿地となっています。


b)北海道の湿地帯

 北海道は現在も非常に多くの湿地帯が残っています。道庁のサイト「湿地の概要」によれば、道内には30ヶ所の湿原があり、その総面積は約4万7000ha。金沢市(4万6777ha)や横浜市(4万3738ha)がすっぽりと入ってしまう広さです。

 ちなみにラムサール条約に登録された湿地は12地区(総面積約3万5000ha)。中でも釧路湿原は約1万8000haという広大さです(八王子市の面積に匹敵)。


c)本州では湿地を水田化した

 これは本州、四国、九州、その他の島にも言えることです。本州に残っている大きな湿原地帯、例えば有名な尾瀬の湿原(約9,000ha)は標高1,400mですから田んぼにするのは無理です。九州のくじょう坊ガルツやタデ湿原も標高1,000m以上。つまり、気候や地形的条件から水田にするのが無理、あるいは経済的にムダであるところが湿原として残ったとも言えそうです。

 こう考えると、本州も大昔は湿地帯だらけであったことが想像できます。例えば、今は米どころとして名高い新潟平野も戦前までは広大な湿地帯が広がっていました。戦後の土地改良事業、特に排水事業によって肥沃な大地へと変貌を遂げたのであり、現在も新潟平野は約1万haが海抜0m以下のまま。大半の土地が24時間ポンプによる強制排水によって大地たりえているのです。

 日本最大の平野である関東平野も徳川幕府が置かれるまでは利根川などの広大な氾濫原でしたし、大阪平野も豊臣秀吉が大阪城を築いた頃には今の河内地方の大半を占める巨大な沼(河内湖)が広がっていました。京都府の巨椋池(800ha)が干拓されたのは昭和になってからです。

 濃尾平野もまた尾張藩が木曽川以南を取り巻く御囲堤を造るまでは木曽三川の乱流地帯であり、御囲堤築造以後も木曽川の西は有名な輪中地帯として雨のたびに水に浸かる半湿地帯でした。

 ほとんどが干拓地である岡山平野、広大な干潟であった佐賀平野、継体天皇が治水工事で拓いたという越前平野等々、それ以外の平野や盆地でも昔の歴史を調べれば、ほとんどと言っていいほど湿地帯を克服して水田を切り拓いてきた記述が見つかります。

 つまり、日本に大昔あった湿地帯は、ほとんどが水田化されたと言っても過言ではないでしょう(その水田地帯の河口が都市化された)。


d)湿地から水田への変化

 こうした湿地から水田への変化、つまり新田開発は何百年とかけてゆっくりした速度で進んでいったために、環境改変による生物の受けるダメージは少なかったものと思われます。

 また新田開発は、当然のことながら用水路を引くという行為が伴ないます。平野全体に水が行き届くよう引かれた網の目のような水路網を通して水生動物が広大な範囲を自由に移動できるため、生息地の独立化、分断化も起こらなかったとも想像できます。

 もちろん水田は人工物ですから、自然の湿地帯や川とは条件が変わってきます。

 大きな違いを挙げると、

 a)水田には肥料が投入される
 b)人の出入りが頻繁である
 c)アゼを除けば、広い範囲で稲ばかりとなる(単一の植物相)
 d)稲を食べる昆虫は排除され、水田に生える雑草も除去される
 e)水を張るのは灌漑期のみで、稲刈り以降は春まで乾田化する
 f)水田にはアゼがある
 g)用水路は川と違って流路や流速の変化が少ない
 h)自然の川や沼は頻繁に洪水に襲われるが、水田はそれほどでもない

 しかし、こうした違いもそれが何百年も続くと自然の営みとほぼ同化してしまう。しかも、水棲動物や爬虫類はアゼや水路を伝って移動できるため、必ずしもこうした違いでダメージを受けたりはしない。奥山、里山、川、ため池、水路、水田という水のネットワークが生物の移動や生息を可能にしたとも言えるでしょう。

 ヨーロッパでは、農地を造るためにどんどん森や山を切り拓いていった。しかし、日本では湿地帯を農地として選んだ。しかも、川の水が枯れないようにするため山に木を植え続けてきた。したがって、世界でもトップクラスの森林が残ったというわけです。

 いずれにせよ、西洋の土地開発の歴史とはまったく異なった道を歩んだことは特筆すべきでしょう。


e)何世紀もかけて出来上がった琵琶湖40湖分の湿地帯

 日本で発掘された最古の水田遺跡は佐賀県唐津市の菜畑遺跡であることから、日本に稲作が伝播したのは約2500年前と推定されています。しかし、中国の揚子江付近で発掘された遺跡からはジャポニカ米も発見されました。これらの炭化籾を放射性炭素法で年代測定したところ、いちばん古い籾は紀元前5000年くらいのものであることも判明しました(独立行政法人農業環境技術研究所「水田稲作と土壌肥料学」

 「国立歴史民俗博物館のAMS法(加速器質量分析法)による研究では,水稲の伝来は紀元前10世紀までさかのぼる可能性も考えられるとしている(国立歴史民俗博物館,2003)」
(森淳「水土が育んだ水田生態系の保全にむけて」より)

 もし水田の伝播が紀元前何世紀にもさかのぼるとすれば、人工的生態系とは言っても、ほとんど日本の風土そのものを形作ってきたとも考えられます。

 いずれにせよ、日本は最も豊かである湿地帯の生態系を、何世紀もかけて水田化してきたことに違いはありません。そのため湿地帯としての生態系は水田生態系として代替されてきたと言っても、決して過言ではないでしょう。

 現在の水田の面積は約260万ha。日本最大の湖である琵琶湖の面積が6万7000haですから、日本は琵琶湖40個分の湿地帯を持っている計算になります。

 このことが、日本が豊かな生態系を保ってきた大きな要因ではないでしょうか。