3-水田の生物多様性を守るために

4.水田の生物多様性を守るために

a) 3つの事例にみる共通性

 さて、以上3地区の事例を見てきましたが、いずれも戦略や戦術はよく似ています。

 まず戦術としては、ある具体的な動物(トキ、コウノトリ、水鳥等)が生きられる環境、すなわちその動物が頂点となる豊かな生態系ピラミッド(地域全体の生物多様性)を整備し、その活動を通して地域社会の活性化、あるいは地域経済の活路を見出そうというものです。


 さらに戦術は、以下のように整理されます。


1.生態系に配慮した工法で生物多様性の向上を図る(ハード的対応)

水田魚道やよどみ、ビオトープなどこれまでの水田整備にはなかった工法によって生物の生息環境を拡大する。


2.環境保全型農業への農家の理解と協力(ソフト的対応)

化学肥料や農薬の不使用、あるいは冬期湛水、深水灌漑といった環境保全型農法に関する地域の協力体制づくりを進め、地域全体として生物多様性の向上を図る。


3.ブランド米としての認定

こうした取組みで作られた米を「朱鷺と暮らす郷米」「コウノトリを育むお米」「ふゆみずたんぼ米」など、安全・安心、自然配慮といった付加価値をつけブランド化する。


4.6次産業への展開

活動やブランド米のPRを通して地域全体のイメージアップを図り、子どもたちへの教育、都市と農村の交流、観光、流通ルートの開拓など地域経済への貢献を図る。


b)共生のための保全

 この戦略は、欧州の経済界が模索している生物多様性の保全に向けた戦略(生物多様性オフセット環境スワップ等)とはまったく質的に異なっていることが分ります。

 基本的に自然や生き物に対する考え方が違います。トキ、コウノトリ、水鳥などは「保存」(自然に介入すべきではない)という思想ではなく、人間にとって利用価値があるから「保全」するという発想でもない(トキは農家にとって害鳥)。トキやコウノトリの保護はあくまでも放鳥、つまり野性復帰への手段であり、むしろ農業の生産性を犠牲にしてでも共存・共生を図ろうという考え方です。その思いは「朱鷺と暮らす郷米」「コウノトリを育むお米」といったネーミングにもよく表れています。

 つまり、保全か保存かという観点で言えば、日本の生物多様性への取組みはそのどちらでもなく、「共生(Symbiosis)」という思想ということになるのではないでしょうか。

 共生(Symbiosis)とは「(生物学上の用語であり)種の異なった生物がお互いに友好的に生息していることを言い、特に、相互に利益を得ている状態を指す。寄生(parasitism)と区別する意味で使われる(『ウエブスター』)とあります。

 ちなみに『広辞苑』では「共生:種の異なった2種の動物が共存し、互いに利益を得る状態。例:ヤドカリとイソギンチャク」「寄生:種の異なった2種の動物が共存し、片方が別の方から一方的に利益を得る状態。例:寄生虫」となっています。

 整理すると以下のようになるでしょう。


保全(Conservation) 保存(Preservation) 共生(Symbiosis)
  • ~から守る
  • ある程度手を加えながら管理する
  • 人間のために自然を守る
  • ~を守る
  • 元々あるものに手を加えない
  • 自然のために自然を守る
  • ~と生きる
  • お互い助け合って共存する
  • 自然と共に生きる

 したがって、私たち日本人の生物多様性への対応は、「価値があるから保存する」でも「利用するため保全する」でもなく、お互い助け合って生きる、つまり「共生のための保全」ということになります。


c)二次的自然

 このことは、東洋的自然観も思想的背景として挙げられるでしょうが、なによりも私たちが農山村で目にする風景のほとんどが「二次的自然」、つまり先人が命を賭けて造り変えてきた自然であることに関係しているものと思われます。私たちの先人は山や森を神として崇め、山や森が荒れないようにいわば奉仕してきたわけです。そうやってようやく神の恩恵にあずかることができる。広大な湿地帯や大雨のたびに溢れる氾濫原を何世紀とかけて水田に変え、川を枯らさないため山に木を植え続けてきた。したがって、日本人にとっての自然は先人が残してくれた偉大なる遺産(財産)であるということが言えるでしょう。

 むろん西洋においても自然(あるいは生態系サービス)が財産であることに変わりはないが、その自然(財産=元金)を直接利用して(使って)生きてきた。いよいよ、その財産を使い果たしてしまいそうなので皆で管理・節約・保全していかなければならないという考え方のように思えます。一方、自然保護派は、その財産(自然)には一切手をつけるな、つまり財産を凍結しろという考え方のようにも思えます。

 それに対して、日本人はこれまで財産(自然)の利息で生きてきた。利息を増やすためにはもっと元金(財産=自然)を豊かにしなければならないという考え方であったように思えます。

 利息とは変な言い方ですが、例えば、庭に大きな柿の木が数十本あったとします。それらの柿の木を一生懸命育てていけば、毎年、柿がたくさんなります(これが利息的利益)。日本人はその柿を売って生計を立てるような暮らしをしてきた。ところが、それらの柿の木や庭、あるいは裏山の木を全部切ってしまえば、柿よりも大きな利益を得ることができます。つまりGDP(経済的成長)としては木を全部切ってしまう方がはるか数値は上がる。都市周辺で多く見られた住宅地や工場用地への農地転用も、そうした近年の経済成長至上主義のようなものがあったと思われます。

 いずれにせよ、日本の生物多様性はほとんどと言っていいほど「二次的自然」が支えているものであり、それから得られる生態系サービス(動植物、森林や水田の多面的機能)も先人が造ってきた遺産(の利息)であるという考え方、したがって、生物多様性への対応も「共生(Symbiosis)」という考え方が大切になってくるのではないでしょうか。


d)水田の生物多様性を守るために

 2010年、名古屋でCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されたように、これから日本においても生物多様性への配慮はCO2とともに企業活動の最大の課題となってくることが予想されます。

 しかし、国際間における条約の締結に際しては様々な障害が横たわっています。大きなものとしては、次のような問題が挙げられています。

  • 生物多様性に関する科学は進化の途中であり、その価値の科学的判断は不可能
  • CO2のように数値化が難しく、属地性が強い(地域固有の問題)
  • 先進国のCO2問題に対して、生物多様性は発展途上国で深刻化している
  • 南北問題と成長と開発の矛盾

 南北という構図を都市と農村に置き換えれば、これらの課題はそのまま日本にも当てはまるはずです。資材の調達や開発をめぐる発展途上国への対応は確かに解決すべき重要な問題ですが、日本でも急速に失われつつある生物多様性もそれに劣らず重要であり、なおかつ日本が独力で解決してゆかなければならない問題です。何よりもこの生物多様性という問題は地域固有の問題であり、それぞれの地域でしか対応できない(それぞれ地域固有の在来種がある)。

 ましてEPATPPといった農業の国際化、地方経済の疲弊、農山村の著しい過疎高齢化といった状況において、今、日本の水田農業はたいへん危機的な状態にあります。

 これまで述べてきたように水田の危機は生物多様性の危機であり、国土保全など多面的機能喪失の危機でもあります。

 昨今、一社一村運動にも見られるように企業と農村が手を組んだ活動なども増えてきています。しかし、まだまだ日本の企業のCSR(企業の社会的責任)活動はCO2対策やゼロエミッションを除けば免罪符的な活動にとどまっているケースが多く見られます。

 日本で生物多様性を守ろうとするなら、それはとりもなおさず水田生態系(琵琶湖40湖分の湿地帯、地球を10周する水路、21万ヶ所のため池、あるいはそれらに水を供給する水源林)を守る活動になるのではないでしょうか。

 その場合に重要なことは、企業が直接的に農山村の仕事を手伝うよりも、その企業の持つ資産(技術、ブランド名、販売ルートなど)を活用して農山村における6次産業化に協力することではないでしょうか。特に名の知れたブランドや販売ルートは農山村にはないものであり、大きな支援となるでしょう。お互いに持てる力を出し合って、共存するのが「共生」という考え方です。

 また、社会全体で日本の生物多様性を守るためには、例えば事例で挙げたような素晴らしい活動を支援するために、「朱鷺と暮らす郷米」「コウノトリを育むお米」「ふゆみずたんぼ米」といった商品を応援することではないでしょうか。


 いずれにせよこれからの時代は、企業や都市住民が農山村と共生するためにそれぞれの力を出し合いながら森林や水田を守ってゆく、それが日本の生物多様性を守る最も有効な戦略となるのではないでしょうか。